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アンチの正体とはその信者によって傷つけられた被害者?はたして本当にそうなのか
掲示板での言い争いは不毛、
確かに言うまでもないことなのだがあらためてそう思わなければいけないことだと感じた。
とあるジャンルには信者の巣窟と化している板とそのアンチが支配している板が存在する。
どちらも双方を認識、毛嫌いしておりどちらかの鉄砲玉が転がり込んできても
ただの荒らしなら即規制され、論客きどりでやってくる者はすぐに言い負かされている。
ここからわかったのは本来スルーされるべきアンチ側も信者をスルーしてやっていると考えていたことだった。
私個人的にはアンチというのはたいていは元信者が正体だと思っている。それはアンチ自身も
認めているものだと思っていたがそれは間違いだった。そこでのアンチは基本的に被害者だと言い張っているのである。
この被害者というのがどうも腑に落ちない。基本的にうざいことをしてきても無視するのがネットにおいては基本なはずだ。
触らなければ、あるいは触ったとしてもそれはその信者がキモいことが周囲に知れ渡るだけなので
むしろ触ってからかったほうが嫌いな側からすればなんのデメリットもおこらないはずだ。
それなのに被害者をきどっている所がどうもあやしい。
こういう時に考えてしまうのは、ただ気分を害したとか個人的な感情でアンチをやっているだけではないのではないかと憶測してしまう。
元信者で気に入らないことがあるからアンチをしていると言った方がよほどわかりやすく自然だ。
その自然さを怒って否定してまで被害者面をするアンチは具体的に何の被害をうけたのだろうか興味を持った。
その作品Aはとある市場に現れて信者を増やし、いまやその元の市場の領域を越えて展開しているそこそこ知名度がある作品だ。
これを聞いて、ああアレか。と思うならそれだと思う。このことによって生じた被害者というのはすっかり置いてけぼりにされたその市場の層、あるいは関係者かもしれない。
だがこの予想も彼らは違うとやはり口々に合わせているのを目にした。年で頭が最近ぼけてきた私ではこれ以外の"被害"はちょっと思いつかない。
結局アンチというのはなにが理由でアンチなのかとてもその真相に迫ることは難しい。
元信者でも置いてけぼりにされた市場住人でもないのならあと考えつくのは愉快犯くらいしかない。
もしかすると本当に愉快だから徹底的にはりついてアンチをするような輩がいるのかもしれない。
しかし、認めてしまったら荒らし研究歴11年の私は生きがいのひとつをなくしてしまうのである。
あるいは、大事な作品BをAによって汚されたからたたくといった所だろうか?
しかしたったそれだけでは動機がゆるい。信者くらいしか覚えていないような詳細までしりつくしたうえで叩く行為はやはり元信者だからではないかとどうしても思うのだが・・・?
今後もアンチの正体について調べていこうと思っている。人はなぜアンチになるのか?
私はそこにアンチを許さないだとかきえてしまえばいいというような考え方は入れたくない。
もちろんもしいなくなるのならそれに越したことは無いが何かが人気がでれば絶対アンチは生まれるものだ。
私もアンチといえるような存在に過去になったことがある。その時のアンチ行為の理由は元信者だったからだ。
私は少なくともアンチの動機は元信者だったと胸を張っていえる。
しかし、世の中のアンチ行為をする者は元信者だということをよく否定する。たいてい口にする理由は被害者である。
具体的なことは言わない。ただ被害者だと表現したがる。
・・・アンチといっても一人や二人なわけではない。さまざまな理由をひめてアンチ活動に加担する輩がいる。
アンチをするにもそれなりの規模になれば大義名分も必要だ。作品Bが被害をうけたからAのアンチになったというのがよく使われる理由だが
実際はそんなアンチは少ないのではないか。アンチ活動の主な舵をとっているのはそれを隠れ蓑にした元信者なのではないか?
被害者を装い、その実態はとてもその作品に詳しい元信者。こんな構図が見えてくる。
まあ元信者というのもなんらかの形で自分の好きな作品、作者にきもちを裏切られた被害者なのかもしれない・・。
そういった輩たちの気持ちはよくわかる。俺も元信者のアンチだったのだから。
なので言いたい。元信者であることがそんなに恥ずかしいのだろうか?
その作品が好きだったのだろ?それを製作者にそのきもちをぶつけろ。それによって信者と正面からぶつかってもいい。
むしろ現信者の中にも必ず不満を持ったものがいる。そういった奴らを奮い立たせるんだよ。
元信者のアンチがすべきことはそれなんだ・・・!だから今からでもそのネガティヴな活動をポジティヴにかえさせるんだ・・・!
確かに言うまでもないことなのだがあらためてそう思わなければいけないことだと感じた。
とあるジャンルには信者の巣窟と化している板とそのアンチが支配している板が存在する。
どちらも双方を認識、毛嫌いしておりどちらかの鉄砲玉が転がり込んできても
ただの荒らしなら即規制され、論客きどりでやってくる者はすぐに言い負かされている。
ここからわかったのは本来スルーされるべきアンチ側も信者をスルーしてやっていると考えていたことだった。
私個人的にはアンチというのはたいていは元信者が正体だと思っている。それはアンチ自身も
認めているものだと思っていたがそれは間違いだった。そこでのアンチは基本的に被害者だと言い張っているのである。
この被害者というのがどうも腑に落ちない。基本的にうざいことをしてきても無視するのがネットにおいては基本なはずだ。
触らなければ、あるいは触ったとしてもそれはその信者がキモいことが周囲に知れ渡るだけなので
むしろ触ってからかったほうが嫌いな側からすればなんのデメリットもおこらないはずだ。
それなのに被害者をきどっている所がどうもあやしい。
こういう時に考えてしまうのは、ただ気分を害したとか個人的な感情でアンチをやっているだけではないのではないかと憶測してしまう。
元信者で気に入らないことがあるからアンチをしていると言った方がよほどわかりやすく自然だ。
その自然さを怒って否定してまで被害者面をするアンチは具体的に何の被害をうけたのだろうか興味を持った。
その作品Aはとある市場に現れて信者を増やし、いまやその元の市場の領域を越えて展開しているそこそこ知名度がある作品だ。
これを聞いて、ああアレか。と思うならそれだと思う。このことによって生じた被害者というのはすっかり置いてけぼりにされたその市場の層、あるいは関係者かもしれない。
だがこの予想も彼らは違うとやはり口々に合わせているのを目にした。年で頭が最近ぼけてきた私ではこれ以外の"被害"はちょっと思いつかない。
結局アンチというのはなにが理由でアンチなのかとてもその真相に迫ることは難しい。
元信者でも置いてけぼりにされた市場住人でもないのならあと考えつくのは愉快犯くらいしかない。
もしかすると本当に愉快だから徹底的にはりついてアンチをするような輩がいるのかもしれない。
しかし、認めてしまったら荒らし研究歴11年の私は生きがいのひとつをなくしてしまうのである。
あるいは、大事な作品BをAによって汚されたからたたくといった所だろうか?
しかしたったそれだけでは動機がゆるい。信者くらいしか覚えていないような詳細までしりつくしたうえで叩く行為はやはり元信者だからではないかとどうしても思うのだが・・・?
今後もアンチの正体について調べていこうと思っている。人はなぜアンチになるのか?
私はそこにアンチを許さないだとかきえてしまえばいいというような考え方は入れたくない。
もちろんもしいなくなるのならそれに越したことは無いが何かが人気がでれば絶対アンチは生まれるものだ。
私もアンチといえるような存在に過去になったことがある。その時のアンチ行為の理由は元信者だったからだ。
私は少なくともアンチの動機は元信者だったと胸を張っていえる。
しかし、世の中のアンチ行為をする者は元信者だということをよく否定する。たいてい口にする理由は被害者である。
具体的なことは言わない。ただ被害者だと表現したがる。
・・・アンチといっても一人や二人なわけではない。さまざまな理由をひめてアンチ活動に加担する輩がいる。
アンチをするにもそれなりの規模になれば大義名分も必要だ。作品Bが被害をうけたからAのアンチになったというのがよく使われる理由だが
実際はそんなアンチは少ないのではないか。アンチ活動の主な舵をとっているのはそれを隠れ蓑にした元信者なのではないか?
被害者を装い、その実態はとてもその作品に詳しい元信者。こんな構図が見えてくる。
まあ元信者というのもなんらかの形で自分の好きな作品、作者にきもちを裏切られた被害者なのかもしれない・・。
そういった輩たちの気持ちはよくわかる。俺も元信者のアンチだったのだから。
なので言いたい。元信者であることがそんなに恥ずかしいのだろうか?
その作品が好きだったのだろ?それを製作者にそのきもちをぶつけろ。それによって信者と正面からぶつかってもいい。
むしろ現信者の中にも必ず不満を持ったものがいる。そういった奴らを奮い立たせるんだよ。
元信者のアンチがすべきことはそれなんだ・・・!だから今からでもそのネガティヴな活動をポジティヴにかえさせるんだ・・・!
ゲハ厨とネ実厨のひどさ
2ちゃんねらーに数多といる厨のなかには
板そのものの住民がすべて厨である板が存在する。
それは厨房板やvipのことだろうと思うかもしれないが微妙に違う。
彼らは自分が2ch内で異端であり嫌がられていることを理解している。
問題なのはゲハ板とネ実1板のことである。この二つは事実上の隔離板であり
そこでの共通語やネタを外にあまり持ち来ないために機能してきた。
それが今は壊れてしまっている。なぜかというと俺は移民の存在があると思う。
もともと住んでいた住民は自分たちが隔離されていることを理解して楽しんでいた。
しかし2、3年あるいは5年ほど前から移民と思われる者たちが外に隔離板の話題を
振りまき始めたのである。両者、微妙に事情や時期の違いはあるものの
年々移民が増えていくに釣れ隔離板の話題がさも2ch全体で共通であるかのように
話し始めるさまはとても醜いものである。しかも彼らは古参新参両方がその現状を
良しとするかのような振る舞いをみせたのでたちが悪い。
それでもネ実板の民は自制がきくようで主に古参が中心となって
ネ実のネタを他で騒ぐことをやめるように促す輩が多くなった。それが少々いきすぎて
現在の移民過剰叩きが起こっている、ルール無視の新参をけん制するためには
あれくらいが丁度いいのかもしれない。
しかしまあ、あれだけ外にネ実語やらFF11の無駄なネタを撒き散らしておいて
自分たちの住処に他のネタが入ってきたら追い出すのはずいぶん舐めていると言えるが
これを機にネ実ネタを外に広めることをやめるようになっていければ誰も文句は言えないだろう。
そしてもはや末期的な問題なのがゲハ板である。かれらは他の板で
ハード論争を本気でおっぱじめてその板の民のヒンシュクを買っているのに
それが理解できないのか、また煽りをはじめるとんでもないネット珍走団そのものであり
ゲハ板でもこの現状を自制する気配が完全に無い。このおかげで
同じハードから出るゲーム同士の比較では至極真っ当な評価が行われるのに
ハードが違うとなると突然理不尽な評価をしまくり空気を悪化させる。
明らかにそのソフトメーカーがやったことであるのにハードのせいにしかできない。
そしてその行為をまるで正義のように思っているふしがある。
時にはメーカーがこのバグ報告はただの風評だったと言わせてしまう始末。
普通にこのゲームはダメだ、良作だと自由にいえる空気をゲハ厨はぶちこわしたのだ。
このようなことになってもゲハ板の連中はまったく顧みようとする姿勢が無い。
確かに今の三国志的なハードの乱立はゲームにとっても好ましくないだろう。
性能が優れてる事が大事か。名前が売れている事が大事か。遊びやすさが大事か。
少々特殊な趣向でゲームを楽しんでいる俺としてはハードは一丸にはいえないが性能の高い360がよいと思う。
そうなるとハードの性能が低い他はいらぬ存在であるように見える。
wiiのような低い性能のハード独占で作られるゲームはすごくもったいなく感じることもある。
しかしゲームは売れなければ意味が無いのでそれを満たしてくれるのが果たして
360でいいのかというと疑問が残る。世界では一番本体が売れているというが俺らが住んでいるのは
日本だろう。実質海外ゲームばかりをプレイする日本人がどれだけいるだろうか。
ゲハ板では不自然なほど360を崇める傾向が強かった気がする。
ファミコン時代のセガハードとはまた違った意味の崇め方。確かに性能が良いことは通ならば大事だと思う。
しかしもっとこう、素人でもわかる現実的な事実がある。それを嫌かもしれないがしっかりと受け止めるべきだ。
最近ゲハ厨に対する嫌悪感を持つ輩がだんだん増えてきていることは確実。
彼らは少々やりすぎたのだ。ゲハ厨が引き起こす風評によって見方を変えたりするのもやはりおなじゲハ厨だけ。
ゲハ厨はちいさな箱庭世界の中で世論を変えたつもりになっているだけの愚かな奴だ。
ネトウヨ連呼厨とまったく同類である。
救いようの無いゲハ板に新しい風が吹くときをこれからも待とう。
板そのものの住民がすべて厨である板が存在する。
それは厨房板やvipのことだろうと思うかもしれないが微妙に違う。
彼らは自分が2ch内で異端であり嫌がられていることを理解している。
問題なのはゲハ板とネ実1板のことである。この二つは事実上の隔離板であり
そこでの共通語やネタを外にあまり持ち来ないために機能してきた。
それが今は壊れてしまっている。なぜかというと俺は移民の存在があると思う。
もともと住んでいた住民は自分たちが隔離されていることを理解して楽しんでいた。
しかし2、3年あるいは5年ほど前から移民と思われる者たちが外に隔離板の話題を
振りまき始めたのである。両者、微妙に事情や時期の違いはあるものの
年々移民が増えていくに釣れ隔離板の話題がさも2ch全体で共通であるかのように
話し始めるさまはとても醜いものである。しかも彼らは古参新参両方がその現状を
良しとするかのような振る舞いをみせたのでたちが悪い。
それでもネ実板の民は自制がきくようで主に古参が中心となって
ネ実のネタを他で騒ぐことをやめるように促す輩が多くなった。それが少々いきすぎて
現在の移民過剰叩きが起こっている、ルール無視の新参をけん制するためには
あれくらいが丁度いいのかもしれない。
しかしまあ、あれだけ外にネ実語やらFF11の無駄なネタを撒き散らしておいて
自分たちの住処に他のネタが入ってきたら追い出すのはずいぶん舐めていると言えるが
これを機にネ実ネタを外に広めることをやめるようになっていければ誰も文句は言えないだろう。
そしてもはや末期的な問題なのがゲハ板である。かれらは他の板で
ハード論争を本気でおっぱじめてその板の民のヒンシュクを買っているのに
それが理解できないのか、また煽りをはじめるとんでもないネット珍走団そのものであり
ゲハ板でもこの現状を自制する気配が完全に無い。このおかげで
同じハードから出るゲーム同士の比較では至極真っ当な評価が行われるのに
ハードが違うとなると突然理不尽な評価をしまくり空気を悪化させる。
明らかにそのソフトメーカーがやったことであるのにハードのせいにしかできない。
そしてその行為をまるで正義のように思っているふしがある。
時にはメーカーがこのバグ報告はただの風評だったと言わせてしまう始末。
普通にこのゲームはダメだ、良作だと自由にいえる空気をゲハ厨はぶちこわしたのだ。
このようなことになってもゲハ板の連中はまったく顧みようとする姿勢が無い。
確かに今の三国志的なハードの乱立はゲームにとっても好ましくないだろう。
性能が優れてる事が大事か。名前が売れている事が大事か。遊びやすさが大事か。
少々特殊な趣向でゲームを楽しんでいる俺としてはハードは一丸にはいえないが性能の高い360がよいと思う。
そうなるとハードの性能が低い他はいらぬ存在であるように見える。
wiiのような低い性能のハード独占で作られるゲームはすごくもったいなく感じることもある。
しかしゲームは売れなければ意味が無いのでそれを満たしてくれるのが果たして
360でいいのかというと疑問が残る。世界では一番本体が売れているというが俺らが住んでいるのは
日本だろう。実質海外ゲームばかりをプレイする日本人がどれだけいるだろうか。
ゲハ板では不自然なほど360を崇める傾向が強かった気がする。
ファミコン時代のセガハードとはまた違った意味の崇め方。確かに性能が良いことは通ならば大事だと思う。
しかしもっとこう、素人でもわかる現実的な事実がある。それを嫌かもしれないがしっかりと受け止めるべきだ。
最近ゲハ厨に対する嫌悪感を持つ輩がだんだん増えてきていることは確実。
彼らは少々やりすぎたのだ。ゲハ厨が引き起こす風評によって見方を変えたりするのもやはりおなじゲハ厨だけ。
ゲハ厨はちいさな箱庭世界の中で世論を変えたつもりになっているだけの愚かな奴だ。
ネトウヨ連呼厨とまったく同類である。
救いようの無いゲハ板に新しい風が吹くときをこれからも待とう。
今回ほど2ちゃんねらーが馬鹿であると思ったことはない
昨日か数日前から
私のプロパイダの規制が始まったがどうも調べてもプロパイダの規制理由が
はっきりでてこない。それもそのはず、私のプロパイダどころか数十、
もしかしたら100以上の規制が敷かれたのである。
なぜこんなことがおきたのか?
理由はあまりにも馬鹿馬鹿しく、そして2ちゃんねらーが私が想像していた
遥か上を行く愚かさだったことがわかった。
この愚かさを語る前に少し前から流行りだしたネトウヨと言う言葉について書こう。
ネトウヨとはいわば嫌韓厨と似たようなものであるが
ネトウヨの語源はネット右翼である。
この言葉は結構前から存在していた言葉ではあるが
今流行ってしまっている使われ方とは少し違い、
もともと右翼的ブームが続いている2chのなかでも特に
時代錯誤の愛国心を唱えている輩を指すために使われていた。
だのに今は自民を支持する層をすべてネット右翼だのと
言い切ってしまうと言う浅はかな使われ方をしているのだ。
私もこういったやり取りには霹靂するが所詮、荒らしたちが
面白半分にやっていることが多いのは明白であり
相手にするのもレベルが低いためしないのだが
やはり愚かな一部の2ちゃんねらーは精一杯反論を展開するのである。
しかもその反論の仕方がまた不器用というかただ感情に走っているので
むしろ反論側がネトウヨという言葉を広めてしまったも同然であった。
それでも私は反論者たちの言いたいことはわかるので
一番の元凶は荒らしと不確定情報だが某団体の仕業だと思っていた。
だが、今回の大量規制事件でやはりネトウヨという言葉が流行るのは
仕方のないことだと言う結論になった。
私の考えているより2chは極論的な思考を持つ知恵の遅れた
感情的な反社会的な輩が横行していたのだ。本当に悲しい事件だった。
私のプロパイダの規制が始まったがどうも調べてもプロパイダの規制理由が
はっきりでてこない。それもそのはず、私のプロパイダどころか数十、
もしかしたら100以上の規制が敷かれたのである。
なぜこんなことがおきたのか?
理由はあまりにも馬鹿馬鹿しく、そして2ちゃんねらーが私が想像していた
遥か上を行く愚かさだったことがわかった。
この愚かさを語る前に少し前から流行りだしたネトウヨと言う言葉について書こう。
ネトウヨとはいわば嫌韓厨と似たようなものであるが
ネトウヨの語源はネット右翼である。
この言葉は結構前から存在していた言葉ではあるが
今流行ってしまっている使われ方とは少し違い、
もともと右翼的ブームが続いている2chのなかでも特に
時代錯誤の愛国心を唱えている輩を指すために使われていた。
だのに今は自民を支持する層をすべてネット右翼だのと
言い切ってしまうと言う浅はかな使われ方をしているのだ。
私もこういったやり取りには霹靂するが所詮、荒らしたちが
面白半分にやっていることが多いのは明白であり
相手にするのもレベルが低いためしないのだが
やはり愚かな一部の2ちゃんねらーは精一杯反論を展開するのである。
しかもその反論の仕方がまた不器用というかただ感情に走っているので
むしろ反論側がネトウヨという言葉を広めてしまったも同然であった。
それでも私は反論者たちの言いたいことはわかるので
一番の元凶は荒らしと不確定情報だが某団体の仕業だと思っていた。
だが、今回の大量規制事件でやはりネトウヨという言葉が流行るのは
仕方のないことだと言う結論になった。
私の考えているより2chは極論的な思考を持つ知恵の遅れた
感情的な反社会的な輩が横行していたのだ。本当に悲しい事件だった。
一般参加者としてのブログ
このブログは2chにいる一人の名も無きコテハンによる
ブログだという体裁を持って続けているが、やはりその
形では限られた範囲の話題でしか主張すべきことが
できないのがなんとも惜しいものだと思っている。
例えばコミュニティ参加者としての一人の意見を
書くにしてもこのブログではコテハンという狂人の
謗言でしかなくなってしまいかねない。ならば
新しい立場を明確にしたうえでのブログを作り
そこらへんの主張を始めたいにしても今更
もうやる気がでてこない。ただ俺ができるのは
間接的にそのコミュニティの間違った方向へ
今現在歩もうとしている有様を嘆き悲しみ
愚痴を吐くことしか出来ないのだろうか。
すべてが匿名のネット上でしか成り立たぬ
コミュニティを外から正そうとする行為は
無理だという事は承知だが一人一人が
間違いに気づき、新たな視野を持つ
ことにつながればいいのではないか
と思っている。まるで雲を掴むような
難しい話だ。俺もそのあたりは
別に期待していないのが本音。
ブログだという体裁を持って続けているが、やはりその
形では限られた範囲の話題でしか主張すべきことが
できないのがなんとも惜しいものだと思っている。
例えばコミュニティ参加者としての一人の意見を
書くにしてもこのブログではコテハンという狂人の
謗言でしかなくなってしまいかねない。ならば
新しい立場を明確にしたうえでのブログを作り
そこらへんの主張を始めたいにしても今更
もうやる気がでてこない。ただ俺ができるのは
間接的にそのコミュニティの間違った方向へ
今現在歩もうとしている有様を嘆き悲しみ
愚痴を吐くことしか出来ないのだろうか。
すべてが匿名のネット上でしか成り立たぬ
コミュニティを外から正そうとする行為は
無理だという事は承知だが一人一人が
間違いに気づき、新たな視野を持つ
ことにつながればいいのではないか
と思っている。まるで雲を掴むような
難しい話だ。俺もそのあたりは
別に期待していないのが本音。
間違った使われ方になった言葉 〜中2病〜
そもそもは中2病という言葉が作られること自体が間違っていることなのだ。
中2病の定義をざっと見てみるとその中には人生において必要不可欠な感情をも
中2病だとレッテルをつけて悪いことのように書いてある。
人間の長い歴史の中で常に時代をうごかしてきたのは大人になっても中2病の心を
忘れずに貫いた人物ばかりである。
確かに大半の中2病の心の持ち主は何かの壁につまづき、足元を踏み外して
消えていっている。夢を抱いて生きることの何が中2病であるのか?
現代になっても同じことが言える。今日までの日本を動かしてきたのは
夢を諦めなかった中2病たちなのである。
それを馬鹿にするということは今日までの日本の発展を馬鹿にすることにほかならない。
日本を馬鹿にするのは外国人に任せておいて私たち日本人は
中2病をたたえ、日本をたたえることだ。
今日の中2病を指をさして笑うと言うことは、未来の日本を笑うことと同じなのである。
中2病の定義をざっと見てみるとその中には人生において必要不可欠な感情をも
中2病だとレッテルをつけて悪いことのように書いてある。
人間の長い歴史の中で常に時代をうごかしてきたのは大人になっても中2病の心を
忘れずに貫いた人物ばかりである。
確かに大半の中2病の心の持ち主は何かの壁につまづき、足元を踏み外して
消えていっている。夢を抱いて生きることの何が中2病であるのか?
現代になっても同じことが言える。今日までの日本を動かしてきたのは
夢を諦めなかった中2病たちなのである。
それを馬鹿にするということは今日までの日本の発展を馬鹿にすることにほかならない。
日本を馬鹿にするのは外国人に任せておいて私たち日本人は
中2病をたたえ、日本をたたえることだ。
今日の中2病を指をさして笑うと言うことは、未来の日本を笑うことと同じなのである。




